Ironstone Herakles Mex.


ナポリタン マスチフ

原産  イタリア
用途  番犬、護身犬

沿革
 ナポリタン・マスチフは、イタリアン・マスチフといわれるように、マスチフ族
の特徴が形態によく現れている短毛の大型犬である。 しかし、現代のマスチーフと比較
すると、やや小さいが、頭部は大きく、大変無骨で、古風なタイプで、幾多の変遷があっ
たにしても、いかにも古代ローマ朝時代に栄えたモロシア犬の子孫らしい面影をとどめて
いる。
そして、見るからに容貌魁偉で、しかも強力でエネルギッシュであるが昔から番犬または
護身犬として特に知られており、そして主人にすこぶる忠実である。また、命令がない限
り、他人を襲うことは絶対にないといわれる。

形態

頭部……頭蓋は大きく平らで、頭蓋の線と吻の線は平行し、ストップは判然としている。
     吻は短く裁断形で長さと幅は等しく、頭蓋と長さの比は2対5である。顎は非常
     に強力で、広くて丸みを帯びた上唇は垂れて下唇をおおう。鼻は広く鈍角で、鼻
     梁はまっすぐで、鼻孔はよく開き、歯は鋏状咬合である。

………短い三角形で、頭部の中ぐらいの位置に接して垂れる。

………かなり大きく栗褐色でやや出眼の傾きがあり、眼瞼は垂れず活発な表情である。

………中くらいの長さで堅固であり、筋肉に富み、太く肩に接するが、皮膚は弛緩し、
     咽喉垂皮がある。

躯幹……胴は方形で、背は堅固で、まっすぐであり、腰は筋肉がたくましく、臀部はやや
     後方に低くなる。胸は丸みがあり、深さは肘に達し、腹部はやや巻き上がり、肩
     は広く、筋肉に富み、後方へ傾斜する。

 ……上腕骨は筋肉に富み、肘は幅広く、前肢は太くまっすぐである。後肢は長くて力
     強く、幅広い飛節はほどよく低く曲がる。肢趾は引きしまり、アーチしている。

………根元太く先細で、長さは飛節に達する。

被毛……短毛で光沢がある。

毛色……黒。グレー。斑。胸と趾に白斑のあるものと、ないものがある。

サイズ……体高は、牡25.5〜30インチ(65センチ 〜75センチ)
         牝23.5〜27インチ(60センチ 〜68センチ)
         体重は、50〜70Kg


(大野 準一 著 世界の犬より)


ナポリタン・マスチフJKC 審査要綱
                         
原産地    イタリア                     
沿革と用途
  
 現存する種類の中では最も古代犬種の面影を残している犬である。ローマ帝国時代、ギリシャなどから移入された軍用や闘犬用のチベタン・マスチィフと土着犬とによって作出されたものと思われ、番犬,闘犬、軍用犬として飼育されてきた。しかし時代が進むにつれその数が減り、一時は絶滅したものと考えられていた。だがナポリ近郊で若干頭の成育が確認され、1940年ごろイタリア人の手で復興がはかられた。1946年,展覧会にはじめて展示され、古代犬種が復活したが,サイズは昔にくらべると小さくなったといわれている。その後次第に飼育者が増え、現在イタリアにおける年間登録頭数は500頭を超えるまでとなった。近年は各国でも飼育され、アジアでは台湾でもっとも多く飼育されている。番犬。

一般外貌

巨大な頭部をもった骨太な犬で、体高より体長がやや長い、威厳に満ちた短毛犬である。

性格

素直で主人に対しては忠実である。

頭部

スカルは大きく平らで、ストップは判然とし,マズルは頭部全体の1÷3の長さで、額やマズルに皺やひだがある。耳付は高く、頭部の輪郭にそってやや小さい三角形に断耳される。目は大きく卵形に近い。眼色は毛色に準ずるが、普通毛色より濃い場合が多い。鼻筋が通り鼻は大きく鼻孔が開いている。鼻色は黒い被毛の犬は黒く,他の色では暗色。マホガニー色では茶色である。唇は厚く、量感に富み、正面から見た場合、垂唇のため逆V字型である。顎はよく発達し皮膚は垂れている。咬み合わせはシザーズ・バイトかレベル・バイトである。



中位の長さで太く、筋肉に富む。頸の下部で皮膚がたるみ、デューラップがある。

ボディ

胸は広く、深さは肘に達するほどである。背はまっすぐで胴まわりは体長より長い。肋はよく張っている。腹部の線はほぼ水平で、あまり巻き上がっていない。腰は筋肉に富み、尻は丸みを帯びている。



尾根部は太く、先端で先細りになる。長さは飛節に達するが、約半分を残して断尾する。活動中は背と水平に保持するが立てることはない。

四肢

肩はほどよく傾斜し、上腕骨をとりまく筋肉は豊かで、前肢は太くまっすぐである。後肢は大腿が長く、幅広く、筋肉に富む。下腿は骨太で大腿よりわずかに短い。飛節はほどよく曲がる。指はやや兎足状だが、よく隆起し固く握っている。趾は指より丸みがあるが、やや小さい。狼爪は除去する。

被毛と毛色

被毛は密で細かく短くなめらかで、全身ほぼ同じ長さである。毛色は黒、なまり色、ねずみ色、濃い茶色などで、胸や肢先の小さな白斑は認められている。

歩様

ゆっくりした歩様。

サイズ

   体高 牡 65cm〜72cm
        牝 60cm〜68cm

欠陥

  失格 1.陰睾丸
      2.過度のオーバーショットとアンダーショット
      3.大きな白斑
      4.シャイ

  欠点 1.頭部の小さすぎるもの
             2.     猫足状の指趾
             3.     ローチ・バック
             4.     頭部の皺、デューラップを欠くもの




ナポリタン・マスチフの著書の紹介



ナポリタン・マスチフ

ナポリタン・マスチフは、5000年も前から命や財産をまもる本当の番犬として生きてきた真の番犬、護身犬です。
ナポリタン・マスチフは強く、逞しく勇敢で主人や家族を護る本能を持っています。超大型犬ですが喧騒的な犬ではなく、むしろ寡黙で従順な性格であり主人を慕う気持ちが強く、おとなしい犬種です。しかし彼らは、古代から真の番犬、護身犬としてその価値を認められ、支配する民族が代わっても次の征服者に大事に引き継がれ現代までその性格も容姿も変えていないのです。
ローマ帝国時代の人々は現代と違い金や財力を得ようとすれば他を侵略し力で奪うやり方でした。アレキサンダー大王も他国を侵略し、戦争のために家を留守にしてゆく兵士たちは家族や財産を護る真の番犬を必要としたのです。モロシア犬の子孫であるナポリタン・マスチーフは大型の体格を持ち力強くどんな武器を持った敵に対しても怯まず戦ったので彼らの不屈の闘志と防衛心は当時の人々にとって正に自分たちの命を護ってくれる真の番犬、護身犬として、愛され大切にされました。また血まみれの競技を好んだローマの軍人たちはコロシアムで熊やライオン、剣を持った剣闘士とナポリタン・マスチーフを戦わせ彼らを無敵の闘犬に仕立てたのです。彼らの戦いの本能に火がつけば、どんな相手にも怯まず立ち向かい命がけで戦う犬です。
驚くべき事にナポリタン・マスチーフは5000年前からその姿、かたちを変えることなく現代まで生きてきた犬種で当時の性格、気性がそのまま変わることなく受け継がれた古代犬なのです。彼らの遺伝子は現代でも変わろうとしません。
それゆえに彼らの歴史知ることはナポリタン・マスチフを理解する上でとても重要な事です。彼らがなぜ5000年もの間、各民族に受け継がれ、大事に守られたのかその歴史的背景を知ることで彼らがなぜ重く大きい体なのか、皺が多くだぶだぶの皮膚なのか、容貌魁偉で威厳に満ち畏怖を与える容貌なのか、なぜ家から離れようとしないのか、主人を守ろうとする本能がどうしてそこまで強いのか、すべての答えが明らかになります。
ナポリタン・マスチーフについて彼らの母国イタリア語でかかれた著書は多くありますが英語で書かれた著書はあまりありません。アメリカの獣医博士でナポリタン・マスチーフのブリーダーとしても有名なアイアンストーン犬舎のオーナー SHERILYN ALLEN さんの著書「THE OFFICIAL BOOK OF THE NEAPOLITANN MASTIFF」は英語で書かれたナポリタン・マスチーフの公認書として世界中の英語圏の国で読まれています。 彼女の著書の中より抜粋して紹介します。また他の文献からもナポリタン・マスチーフに関する記事を紹介致します。

「シュメール人がチグリス川とユーフラテス川の間に定住したのは紀元前3300年頃でした。この地域は後にバビロニアとして知られるようになり、バビロニアの粘土板の鋳型レリーフや像にはモロサス犬あるいはマスチフがしばしば登場します。 私たちのマスチフの明らかな祖先の最古の例は紀元前2000年のシュメールの粘土板に描かれています。
 私たちのナポリタン・マスチフとすくなくとも5000年前のシュメール犬(Shumerian dogs)の関係は、紀元前2000年代の16.25インチの、メソポタミアのマスチフ犬のテラコッタ像をみても明らかです。 これはメトロポリタン美術館に展示されています。
 この像の犬は、今日のナポリタン・マスチフと同様の短く四角い口吻で額にはしわを寄せています。 耳は断耳した私たちのネオ(ナポリタンマスチフ)と同じ形をしています。
口吻部にはくっきりとしわが寄り、顔からはたるんだ皮膚と贅肉がたれています。 前足は壊れてありませんが、残った足は肉厚で頑強です。 座っている犬の姿勢は、この時代の芸術品に見られる番犬の特徴です。 口は開いて、獰猛に近寄る人を威嚇しています。
 マスチフ愛好者はこの4000年前の犬が現代のマスチフに姿も動作もあまりにもそっくりなので、驚き、興奮してしまいます。 これは、私たちのナポリタン・マスチフが、生きている5000年前の遺物であることをはっきりと証明しているのです。 他の犬達は時が経つにつれて使役目的や生活習慣にあわせて人間の手によって姿形や性格を変えられてきました。 マスチフを知っている人ならこの犬が他の現代の犬とは違う動物であること、そしてその理由は特にあの像から明らかなように、犬の体型と性格を決める遺伝子が5000年前と現代のマスチフでは事実上何も変わらないからだということを理解しています。

 こうして私たちの先祖の歴史や文明を知ることこそ、マスチフが私たち飼い主に与えてくれるものです。 私は、この犬種に惹かれる人がいるのは、その人たちが過去の歴史に魅了されるからだと思います。 ナポリタンを飼うだけで何先年も前の生活がどういうものだったのか経験できるのです。 私たちの犬が西洋文明のごく初期の頃に使われ、賞賛され、切望されていた犬と事実上同じだという証拠を目にすることで、どうして私たちの犬は特別な存在なのかという謎がとけていく感激が味わえます。
 結局紀元前2000年代にシュメール文明はアッカド人を含む他の民族に征服され、この地方はバビロニアとして知られるようになりました。 おそらくあのテラコッタの犬の像がつくられたのはこの頃でしょう。 なぜならメトロポリタン美術館の古代東方近辺芸術部の主事Prudence O. Harper 女史によるとこの像はルーブル美術館のステアタイト製の「マスチフ」に非常によく似ているからです。 女史は情報のつまった東方近辺芸術に表されたマスチフの歴史的概観を著し、シュメール人の時代から紀元前1000年代のアッシリア人の時代までメソポタミア地方でのいろいろなマスチフの遺物について記述しました。
 紀元前1000年代までにはアッシリア人として知られるべつの民族がメソポタミア及びペルシア地方を征服しました。 この頃のアッシリアの浅浮彫りには巨大な頭、短い口吻部、首の贅肉、断耳した耳を持つ巨大犬が登場しています。 マスチフに似た犬がたくさん見られるのはニネベからの出土品です。 ですからあの肥沃な三日月地帯で3000年にもわたって様々な民族が侵入してくる他の民族の手に落ちることを繰り返している間、マスチフ犬は一つの民族から次の民族にまで引き継がれ、繁殖されていくほど大切にされていたのが分かります。
 Prudence Harper女史はニネベのアッシュールバニパル王(紀元前668-627)の北宮殿で埋まっていたのが発見されたミニチュアのテラコッタの犬について書いています。 この犬の名前は彫刻の体に書かれていたのです。 その名は「敵を捕らえる者」(Enemy Catcher)。
 又、別の巨大マスチフ犬も紀元前850年のニネベの浅浮彫りに描かれており、今では大英博物館にあります。 私たちの現代のマスチフと1000年前のペルシアやアッシリアの犬との関係も又、紀元前7世紀の芸術品の例から明らかです。 彼らの足は体の割には非常に大きく、その獰猛な性格は口を開けてうなっている顔に表れています。 彼らの勇気は自分の体よりもずっと大きな荒馬について離れようとはしない意志によって示されています。 こうしたアッシリアの作品に描かれた犬が、紀元前4世紀にアレキサンダー大王がメソポタミアから西アジアにかけて征服していった時に発見した犬の祖先と考えるのは筋がとおっています。

 アレキサンダー大王はこれらの獰猛な軍用犬を大切にしました。 大王は犬をライオンや牡牛やゾウ等様々な種類の野生動物と闘わせたと言われます。 合法的に金が得られる現代と違い、人の力、すなわち富と権力を得る能力というものは、その人の勇猛さや力強さ、そして賢さ次第でした。 国々を征服していくことでより良い暮らしが得られたのです。  ですからアレキサンダー大王は自分をより強くするものを欲しがりました。
 頑強で獰猛、逞しく見るからに恐ろしいモロサス犬はステータスシンボルでした。  アレキサンダーが死んだとき、マケドニアと東ヨーロッパはローマ人に落とされ、偉大な軍用犬はローマ人によって捕らえられて繁殖されました。 ローマ人は、特にカエサルの時代がそうだったのですが、常に戦いに出かけて行って領土を広げていったので、奴隷以外に家にいて家族を守る者が必要でした。 奴隷は隙あれば逃げがちだったのですが、優秀な番犬は逃げたりしませんでした。
 こうして、ローマ人の家の番犬が発達していったのです。 家長(その家の主)はこのような犬を残していければ、予想される侵入者も最良の番犬にじゃまされ、家族は守られると安心できたのです。
 こうした古代文明の芸術作品と文学の遺産をとおして私たちは1つの征服民族から別の民族へと現代に至るまで、今のマスチフ犬の系統をたどっていくことができます。 この犬の所有者の国籍は変わっても、この犬の体型である重量感のある巨大な体、幅広の鼻、皮膚のたるみによって守られる首や闘犬の姿は同じままです。

  ローマ帝国からいまから350年前まで1650年間のモロサス犬をたどっていくと、1650年の「ドイツ自然史」の中でマスチフ犬が次のように描かれています。

 「マスチフとかバンドッグとか呼ばれるこの種の犬は、幅広で巨大、頑固で醜く、熱意があり、重くいかつい体をして、そのため、素早く動くことができないこと以外は見た目にも怖く恐ろしく、アルカディアの野良犬よりも獰猛で残忍だ。 彼らは泥棒や強盗や夜間うろつく者がいるとき、番犬として使われ農場や田舎の小屋を守るよう命令され、一般的な財産からは隔離され、他家に侵入したりはしない。 彼らは狐や穴熊を侵入させず、野生動物を追い払い、豚を飼い慣らし、牡牛の耳に噛みついて連れて行く。 牡牛が暴れて凶暴にならないようにするためなら、多くても1匹か2匹で十分だ。 この種の犬は勇敢で、乱暴で荒々しく人の心を恐怖で冷たく打ちのめすが、人をおそれず立っている。
どんな武器持った相手に対しても、ひるんだり勇気を失ったりはしない。 歯を使って素早くあいてを押さえつける威力は絶大で、3回噛めば熊も倒し、4回噛めばライオンも倒す。」(Baxter and Hoffman、マスチフの歴史と管理)

 ローマ帝国が分裂し、いくつかのヨーロッパの国が新しくできた時に、ローマのモロサス犬の子孫も今日の何種類かのマスチフ系の犬種に進化していきました。それぞれの犬種には出身国によって名前がつけられたり性格も変えられたりしています。 例えばイングリッシュ・マスチフ、(English Mastiff)、ボルドー・マスチフ、(The French Dogue de Bordeaux)、スパニッシュ・マスチフ(Spanish Mastiff)、セントバーナード(Swiss St. Bernard)、ロットワイラー(German Rottweiler)等がいます。 けれどもローマ帝国時代にコルメラ(Columella)によって描かれたものと実質的に同じままなのは、イタリアンモロシアン(Italian Molossian)だけです。 この犬はローマと呼ばれた強大な帝国のコロセウムやすべての歴史と遺跡、そしてそれに込められた人々の感情と共に生き残ってきました。 近年はイタリアの田舎に隠れ住み、外観も性格もほとんど変わっていないイタリアンマスチフは、人間が身の安全と必需品を確保するのに自分自身しか頼れなかった時代の生きている遺物です。


ナポリタン・マスチーフ

イタリアに紀元前からいる犬で、古代ローマの軍用犬として使われていた。ギリシャのピンドス山脈がエーゲ海に落ち込むあたりにモロシア(Molos)と言うところがある。この地で紀元前に大型の犬が生産され、「モロシアン(Molossian)」として古代ローマに大量に輸出された記録がある。ローマのコロシアムで、ライオンなどの猛獣と戦わせて、勇敢な大型犬として有名になり、軍用犬や番犬、護身犬としてもイタリアで広く飼われるようになった。
(富澤 勝著 草思社刊 「珍しい犬を飼いたい」より)



ナポリタン・マスチーフ

イタリア
体高 73cm 体重 90kg
カラー グレイ。黒。ブリンドル。イザベラ。マホガニー・レッド。
祖先は古代ローマの闘犬であるといわれています。
南イタリアで、羊の群れや農場や邸宅の警備を務めてきた由緒ある番犬です。
防衛本能は骨の髄までしみこんでいますから、けしかけるより抑制しなければなりません。
子犬は早くから人間と友好的に暮らすことを学ぶ必要があります。
やたらに走り回る犬ではないので、適度な広さの生活空間さえ与えれば、寡黙な
でしゃばらない伴侶となりえます。
見かけによらず子供好きで、自分の仲間と認めた人にはつきあいがいいですね。
普段は余裕綽々、自分から喧嘩を売ることはめったにありません。
しかし怒らせたら最後、手加減せずに戦います。
自発的に服従はしません。
この種の犬を手がけた経験があり、精神構造と行動パターンを熟知した人にしか扱えません。
もちろん、犬を押さえる体力も必要です。
盛大によだれを垂らしてくれます。尾は少しだけ切ります。
子犬の養育には費用と手数がかかります。

ナポリタン・マスチーフの気性はおとなし過ぎもせず、獰猛でも狂暴でもない。
彼らはその優れた嗅覚で誰かやって来る人を知り、誰でも近くへやってこない様に
太く大きな声で吠えて警告を出す。それでも近づいてくる者には猛然と攻撃をする。
彼らのもっとも重要な気質は、彼らは番犬であり一切の攻撃を許さないということである。そしてその次に大事な気質はもし彼らを怒らせたら、彼等は圧倒的なパワーと不屈性で防衛し戦うことである。闘争心に火がつくと、どんな相手でもまたどんな武器をもっていても立ち向かい、後へひくことをしません。5000年の昔からライオンや熊や剣闘士と戦ってきた闘犬の本能が彼らには今も流れているのです。
ナポリタン・マスチーフは楽しげにはしゃぎまわる性格ではありません。厳粛で威厳がありそこに居るだけで畏怖を与える風貌があります。
そして容貌魁偉な顔に似合わず主人や家族にいたって従順です。

ナポリタン・マスチフは誰でもが飼える犬ではありません。犬の心を理解し、彼らのレベルでコミュニケーションができる人だけがネオの飼主になる資格があるのです。

マスチィノはもともとギリシャのモロスス系(チベタン・マスチフが先祖)の犬だったが、あらゆる動物を使った血まみれの格闘を好んだ古代ローマ帝国の軍人が、イタリアに持ち帰り、無敵な闘犬に仕上げたという。こうして誕生したマスチィノは帝国の消滅以後単なる番犬をつとめてきたが、第2次世界大戦の末には絶滅寸前の状態に陥っていた。現在世界各地のドッグショーに登場するマスチィノはみんな、1949年に、最も純粋だと思われ認定を受けた、たった8頭の個体の子孫である。
今のマスチィノは大昔の格闘技場で活躍した先祖に比べて、性格がずっと穏やかになっている様で、僕を挽肉にするほどの力があるとしても、バロネとその仲間たちはそういう気配のひとかけらも見せなかった。デファルコ家の門を叩いた時に、彼等は一応吠えたが、申し訳程度で、彼等はすぐに木陰に入って伸びた。

ジェルミ・エンジェルの世界を巡ってより
第15回 マスチーィノ・ナポリターノ イタリア より
 




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英語で書かれたナポリタンの公認書


書籍 紹介


 〔ニュース〕
 ナポリタン・マスチフのすべてが分かる本を紹介します。オフィシャル本「THE OFFICIAL BOOK OF THE NEAPOLITAN MASTIFF」をご紹介します。当犬舎の代表犬であるアイアンストーン ヘラクレスの作出者でアメリカの獣医博士
SHERILYN ALLENさんの著書 「THE OFFICIAL BOOK OF THE NEAPOLITAN MASTIFF」は英語で書かれたナポリタン・マスチフのすべてが分かる本です。アレン博士は アイアンストーン犬舎のオーナーであり彼女自身素晴らしいナポリタン・マスチーフを作出しているアメリカの代表的なブリーダーです。
当犬舎の代表犬アイアンストーン・ヘラクレスはアレン博士の作出犬です。ナポリタン・マスチフについて書かれた書物の多くは英語以外の言語で書かれていました。唯一Mario Zacchiのイタリア語による著作のJohn Twinam による英語の翻訳だけでした。現在、世界の多くの国でナポリタン・マスチフが認識され英語圏の人達にもナポリタン・マスチフについての多くの情報を求められるようになったのです。アレン博士は獣医として20年以上ナポリタン・マスチーフと接し、「近代化」された他の犬種とナポリタン・マスチフが如何に違っているかを知らせたいと思いました。「犬」を詳しく知っている人達が如何にナポリタン・マスチフを知らないかを示したいと考えたのです。それほどナポリタン・マスチフは他の犬種とは違うのです。
この本は英語圏で読まれる公認書となり多くのナポリタン・マスチフのファンの方の愛読書となっています。 洋書専門店で取り寄せ出来ますが当犬舎にも常時在庫しています。お急ぎの方には
分譲します。T.F.H 出版社から発行: TS−255定価は13,270円で送料消費税別です。

この本の内容は。
 (1)ナポリタン・マスチフの歴史
 (2)ナポリタン・マスチフのスタンダード解説
 (3)ヨーロッパにおけるナポリタン・マスチフ
 (4)西洋におけるナポリタン・マスチーフ
 (5)ナポリタン・マスチフとの暮らし方
 (6)健康上の注意点
 (7)交配/出産
 (8)ナポリタン・マスチフの毛色
 (9)ドッグショーでのナポリタン・マスチフ

 の項目からなります。全文320ページで文章は英文ですが483枚のカラー写真と29枚の図を用いて詳しく解説されています。また世界中のナポリタン・マスチーフが掲載されていて写真を見ているだけでも楽しいです。
完全翻訳テキストも完成していますのでご希望の方には分譲します。

以下にこの著書の中から例えば
(1)ナポリタン・マスチフの歴史を一部抜粋してご紹介します。


[ナポリタン・マスチーフの歴史]
 紀元前2000年のシュメールの粘土板に描かれている犬やメトロポリタン美術館に展示されている16.25インチの テラコッタ像はまさに今日のナポリタン・マスチフです。またナポリタン・マスチーフの説明で最古の物は 1世紀にローマでラテン語で書かれた
「De Re Rustica」です。また1586年にロンドンのConrad Heresbatchの作品でもナポリタン・マスチフのことが家の番犬として書かれていて2000年前のと400年前の文章がまったく同じ犬の描写をしています。つまりナポリタン・マスチーフは5000年前からその容姿と気性をまったく変えずに受け継がれて来たのです。

 法律が守ってくれる現代と違い、欲しい物は力で相手から奪い取る時代、勇気と強大な力を持った見るからに恐ろしいナポリタン・マスチフは家族の命と財産を守ってくれる大事な番犬でした。紀元前4世紀のアレキサンダー 大王は強さのステータスシンボルとしてナポリタン・マスチフを欲しがり大切にしました。アレキサンダー大王はライオンや牡牛、象や剣闘士と戦わせたりしました。大王の死後ローマ人がナポリタン・マスチーフを受け継ぎ彼らはローマ軍と共に戦場で戦いヨーロッパ中に子孫を残しました。ローマ分裂後ヨーロッパ中に広まった彼らの子孫はその国により姿や性格を変えられました。例えばイングリシュマスチーフ・ボルドーマスチーフ・スパニッシュマスチーフ・セントバーナード・ロットワイラー等です。しかしナポリタン・マスチーフだけは昔のままでした。ナポリタン・マスチーフは真の番犬・護身犬としての能力を愛され征服する民族が変わっても大切に守られてきたのです。




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